Back From The Temple

見仏記で仏像にハマりました。 みうらじゅんといとうせいこうが好きです。 ただいま朱印帳をめくりながら以前、訪れたお寺の記録を書いています(旧タイトル:ジンジャー大将)

2011年07月

【説話/伝説】吉祥天

涅槃教説話

ある家に、とても美しい女の人が訪ねてきました。
豪華な服を着て、見るからに気品のある女性でした。
その美女は「私は吉祥天です。福徳を授けに来ました。」といいます。

幸福の女神の到来ですから、家の主人は大変に喜んで、家の中に招き入れました。

ところが、そのあとから、もう一人の女性が入ってこようとしています。

こちらのほうは、見るからにみすぼらしい、醜い女性でした。

「おまえは誰だ。」と主人が問うと

「私は黒闇天(こくあんてん)。私の行くところ、必ず災厄がおきる貧乏神です。」
と後からきた女性が言いました。

家の主人は、貧乏神に家の中に入ってこられてはたまりませんから、「おまえなんか、とっとと消え失せろ。」とどなりました。

すると、その黒闇天は大声をあげて笑いました。

「あなたは馬鹿です。さっき入って行った吉祥天は、わたしの姉です。わたしたち姉妹はいつも一緒に行動しています。わたしを追い出せば、姉の吉祥天だってこの家から出て行きます。」

そして、そのとおり、吉祥天と黒闇天は肩を並べて、その家を去って行きました。



夢に天女の像と交接した優婆塞『日本霊異記』

和泉の国・泉の郡の血渟の山寺に、吉祥天女の土製の像がありました。
聖武天皇の御代に、信濃の国の優婆塞がその山寺に移り住みました。

優婆塞は、この天女の像を流し目で見、愛欲の心を募らせ、ひたすら恋い慕い、一日六度の勤めごとに、「天女のような顔の美しい女性を私に与えてください」と祈り願っていました。

この優婆塞、ある夜天女の像と交接した夢を見ました。
あくる日、天女の像をよく見ると、裳の腰のあたりに、不浄のものが染みついて汚れていました。
優婆塞はそれを見て、恥ずかしさに、「わたしは天女さまに似た女が欲しいと願っておりましたのに、どうして畏れ多くも天女御自身がわたしと交接されたのですか」と申し上げた。しかし、実際恥ずかしくてこのことはだれにも言いませんでした。

ところが、弟子が秘かにこのことを聞き知ってしまいました。
後日、その弟子が師となる優婆塞に礼を尽くさないので、師は叱って追い出しました。
弟子は追われて里に出て、師の悪口を言いふらし、吉祥天女との情事を暴き立てたました。

里人はこの話を聞いて、行って真偽のほどを確かめました。
はたしてその像を見ると、淫水で汚れていたのです。優婆塞は事を隠しきれずに、詳しくわけを話しました。

深く信仰すると、神仏に通じないことはないということが本当であることがわかる。
これは不思議なことである。
涅槃経に、「多淫の人は絵に描いた女にも愛欲を起す」と述べられているのは、このようなことを言うのである。


吉祥天の家系

【父】般闍迦/パーンチカーーーーー【母】鬼子母神
              |
              |
   |ーーーーーーーーーー|ーーーーーーーーーー|
   |          |          |
   |          |          |
【兄】婆藪仙人 |ー吉祥天/ラクシュミー  |ー【妹】黒耳天/黒闇天
        |             |
     |ーー|             |ー【義弟】閻魔王
     |  |
     |  |ー【夫】毘沙門天
     |
     |ーーーーー|ーーーーー|ーーーーー|ーーーーー|
     |     |     |     |     | 
    最勝童子  独健童子  那吨童子  狗抜羅童子 甘露童子


※以下、2014年5月30日追記

ついに黒闇天と出会いました。
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画面左、女神形が黒闇天です。

【説話/伝説】空也上人

空也上人
空也上人は醍醐天皇の次男として生まれるが922年ごろ出家し、「空也(くうや)」と名乗った。
寺には入らず諸国を廻りながら修行し、「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えながら道路や橋を造りるなど社会貢献に励み、民間における浄土教の先駆者、踊躍念仏(ゆやくねんぶつ)の祖とされる。
また当時、京都で流行した疫病を退散させるため、空也上人は自ら刻んだ十一面観音菩薩をと共に市中廻り、病人がいると身分の差を問わず、仏前に供えた梅干と昆布を入れたお茶を病人に与え、「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えて病魔を鎮めたという。
天暦5年(951年)には堂を建て、この十一面観音像を祀ったとされ、これが六波羅蜜寺の始まりとされる。
このように身分を問わず施しを行い、社会貢献をし、常に市民の中に入り伝道に励んでいたことから、空也上人は阿弥陀聖(あみだひじり)、市聖(いちのひじり)と呼ばれ尊敬され、念仏を唱える口からは六体の阿弥陀仏が現れたという伝説がある。

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空也上人が貴船の山に篭って修行していた頃の話。
毎晩、空也上人に親しく近寄ってくる鹿がいました。
空也上人はこの鹿がやってくるのを毎日のように楽しみにし、いつの頃か友達のように思うようになりました。

ところが、ある日からその鹿がさっぱり姿を見せないので、空也上人は心配になり尋ね歩いていると、手に鹿の角と皮を持った男に出会いました。
すっかり姿を変えたこの鹿こそ空也上人が友のように愛し、探し求めていた鹿だったのです。

空也上人は男にわけを話し、自分が持っていた瓢箪と鹿の角と革を交換し、男には瓢箪叩いて念仏を唱えることを勧めました。
男は生き物を殺した罪を恥じて悔い改めました。
そして空也上人の弟子になり踊り念仏を修行して広く伝えました。

空也上人は男から譲り受けた鹿の角を自分の杖の頭に付け、革で袋を作り生涯身につけて愛用したといいます。



このエピソードにある空也上人の姿は六波羅蜜寺に残る運慶の四男康勝作の「空也上人立像」によく表され、念仏を唱える口から出現したという六体の阿弥陀仏も表現されている。

【説話/伝説】小野篁(おののたかむら)

平安時代後期に小野篁(おののたかむら)という朝廷の役人がおり、参議という役職を勤めた。
小野篁は遣隋使として有名な小野妹子の子孫にあたり、生没802〜852年の歴史上実在の人物。
篁は皇太子の家庭教師も務めた学者であり、百人一首にも選出される歌人でもあり、身長が180センチを超える大柄の武人でもあったので何でも出来るスーパースターのような存在として尊敬され、恐れられてもいた。


【小野篁の伝説-1】
篁はある夜、死んだ母が地獄で苦しんでいる夢を見ました。
篁はとても心配になり、霊感を働かせながら歩いていると、東山の六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)に冥界(めいかい)に通じている井戸を見つけました。

そして、その井戸から冥界に行くと、閻魔大王に願い出て、地獄で苦しむ母親を極楽浄土へと救い出しました。

この事がきっかけで閻魔大王と親しくなった篁はそれからというもの、昼間は朝廷で働き、夜になると井戸を通って冥界に行き、冥界の裁判所で閻魔大王の補佐として弁護役を勤めたといいます。


834年、小野篁は遣唐副使に任ぜられた。
篁は唐を目指して出航したが船は2度も難破してしまう。
3度目の出航の時、遣唐大使に自分の船を取り上げられ大使の船とされた事を不満に思った篁は仮病を使って唐に行くのを拒否した。
この事が天皇の怒りを買い、勅命に背いた罰として絞首刑にされようとしたいたとこを友人の藤原良相(ふじわらのよしみ)が懸命にかばって、隠岐への島流しの罪へ刑を軽くしてもらい、篁は命を救われた。

※この隠岐の島流しの時に篁が詠んだ歌が百人一首に選ばれている。

わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと
人には告げよ 海人の釣舟(11番)

島流しから2年後、篁は罪を許され、帰京し参議として朝廷に復職した。



【小野篁の伝説-2】
篁の命を救った友人の藤原良相は右大臣に出世していましたが、ある日、重い病にかかり死んでしまいました。

良相は冥界で閻魔大王の前に引き出され、生前に犯した罪をあらいざらい並べられました。
良相が
「俺もいよいよ地獄の責め苦を受けるのか」
と、恐れ辺りを伺うと、閻魔大王のそばに見慣れた顔がありました。

良相が
「あれは篁ではないか。」
と、不思議に思っていると篁は閻魔大王に対し
「この日本の大臣は心うるわしく、人のためになる方です。今度ばかりは私に免じて許してください。」
と、命の恩人で友人の良相の弁護を始めました。

閻魔大王は
「難しい事だか他ならぬお前の頼みとあっては仕方あるまい」
と、言って良相を帰らせるように命令したかとおもうと、良相は「はっ」と息を吹き返し、この世に生き返り、病もたちまちに治ってしまいました。

良相は冥界での出来事は夢だとおもい誰にも話しませんでしたが、朝廷に出仕していたある時、篁と二人きりになる機会がありました。

良相は思い切って篁に聞いてみました。
「この前の冥界の一件を忘れられません。あれは一体どういうことですか。」
篁は微笑みながら
「以前、命を救ってもらった恩に報いたまでです。このことは誰にも言わないでください。」
と、昼間は朝廷に仕え、夜は閻魔大王に仕えていることを良相に教えました。

しかし、この篁の話はたちまち世間に広まってしまったといいます。



小野篁が冥界に行く際に通ったという伝説の井戸が今も京都の六道珍皇寺に残っている。

篁は母親の供養のため六道珍皇寺に私財を寄進したので同寺に祀られ、また境内にある閻魔堂には篁作とされる閻魔大王座像(平安前期)と篁立像(江戸期)が並んで安置されている。

智慧光院にも小野篁作と言われる六臂の地蔵像が祀られている。

※篁が母が地獄で苦しむ夢を見たという説話は、丁度、罪を許され島流しから帰京した頃の事だと思われる。
※小野小町の祖父という説もあるが確証はない。



以下、当ブログの六道・地獄に関する記事へのリンクです。


人は死んだらどうなる?長岳寺

全興寺:地獄は地域コミュニティ

子育て幽霊飴(六道まいり)

六道珍皇寺の小野箼と閻魔像

説話/伝説 小野篁(おののたかむら)

まんが日本昔ばなし「子育て幽霊』

京都地蔵盆:智恵光院・六臂地蔵

京都地蔵盆引接寺・小野篁作閻魔王像

六観音が一堂に会する千本釈迦堂

【小満】第二十三候:紅花栄(べにはなさく)

【謎の神-2】牛頭天王

疫病や災いをもたらす強大な行疫神として恐れられたが、転じて(逆にこれを丁重に祀れば、かえって災厄をまぬがれる)除疫神として信仰された。
来歴の詳細は不明だが、釈迦の生誕地に因む祇園精舎の守護神とされ、祇園信仰の神であるとされる。
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スサノオの本地とされれ、祇園祭で有名な京都八坂神社(感神院祇園社)から勧請されて全国の祇園社、天王社で祀られた。

陰陽道では天刑星と同一視されているが「奈良国立博物館収蔵の辟邪絵:天刑星」のこと詞書には「牛頭天王と眷属をつかんで酢漬けにして食べる天刑星」とある。

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↑奈良国立博物館収蔵の辟邪絵:天刑星

神仏習合では薬師如来の垂迹とされ、薬師寺などでも牛頭天王の護符(牛王の札)がある。



説話
『祇園牛頭天王御縁起』より

須弥山の中腹に「豊饒国」という国があった。国王の「武答天王」の一人の太子がいたが、7歳にして身長が7尺5寸あり、頭頂に3尺の牛頭、3尺の赤い角があった。
父王は稀代の太子だと思い「牛頭天王」という称号を与えた。


牛頭天王は后をむかえようとしたが、異形を恐れて近寄ろうとする女人はいなかった。
ある時、山鳩が飛んで来て『大海に住む沙竭羅龍王の三女=婆利采女(ハリサイニョ)を妃にするように』と告げた。
牛頭天王は山鳩の案内で竜宮に出かけていった。


日が暮れたので「長者の巨端」に宿を乞うたが、巨端はこれを断った。怒った牛頭天王はこのような「邪見の族」をのさばらせておくものか。と「蹴殺」を決めた。
次の家で貧乏な「蘇民将来」に宿を乞うと、牛頭天王には新しい茅の席を家来には古い茅の席を用意して粟飯をふるまって歓待した。
蘇民の親切に感じ入った牛頭天王は、願いごとがすべてかなう「牛玉(ごおう)」を蘇民に授けた。蘇民は富貴の人となった。


竜宮に到着した牛頭天王は婆利采女の宮殿で8年を過ごすあいだに七男一女の王子(八王子)をもうけた。
牛頭天王は豊饒国への帰路、蘇民将来の家を宿とし、巨端へ八万四千の眷属をさしむけ復讐を図った。
巨端は最近怪異なことが怒る理由を占わせたところ「3日の内に大凶となろう。これは牛頭天王の罰である」と出た。
そこで巨端は牛頭天王の災いから逃れるため千人の僧を集め、大般若経を七日七晩にわたって読誦させた。


牛頭天王は八万四千の眷属に対して巨端の家へ攻め込み「末代の煩い」である「邪見・放逸の徒」である巨端一族郎党を一人残らず滅ぼすよう命じた。
これを聞いた蘇民将来が『巨端の家には私の娘がいる。娘だけは助けて欲しい』と願い出た。すると牛頭天王は『茅の輪を作って赤い絹に包み”蘇民将来の子孫”と書いた札を娘の帯に付けさせよ。そうすれば災難から免れるだろう』と指示した。


巨端の家へ押し寄せた眷属は大般若経を読誦中に居眠りし「謂われなき字を読む法師」を突破口に巨端一族をことごとく蹴り殺したという。

参考資料:山本ひろ子著「異神(下)」より要約



八王子
牛頭天王には頗梨采女との間に八人の子で、八方位の暦神に比定される。

総光天王:太歳神/木曜星
魔王天王:大将軍/金曜星
倶魔羅天王:太陰神/土曜星
得達神天王:歳刑神/水曜星
良侍天王:歳破神/土曜星
侍神相天王:歳殺神/火曜星
宅神相天王:黄幡神/羅ごう星
蛇毒気神:豹尾神/計都星

明治の神仏分離の際、これが牛頭天王と習合していたスサノオと天照大神との誓約(うけい)で化生した五男三女神に変えられた。

京都祇園の八坂神社の祭神は明治以前は
中の座 :牛頭天王(ゴズテンノウ)
東の座:八王子(ハチオウジ)蛇毒気神
西の座:頗梨采女(ハリサイニョ)
であったが

中間:素戔嗚尊(スサノヲノミコト)
東間 :八柱御子神(ヤハシラノミコガミ)
西間 :櫛稲田姫命(クシ(イ)ナダヒメノミコト)



蛇毒気神(ダドクケノカミ)について続く?

【兵庫県】牛女伝説の寺として全国的に有名な?鷲林寺

場所/寺名:鷲林寺(じゅうりんじ)

訪問日:2011年7月11日


所在と最寄り駅

兵庫県西宮市鷲林寺町4の8


お寺の特徴など
そらん荒神を祀るお寺。牛女伝説でも有名



拝観可能な仏像
護摩堂内陣より不動明王、荒神堂外よりそらん荒神坐像、宮殿の十一面観音(弘法大師作)は4月21日開帳


写真撮影不可



鷲林寺(じゅうりんじ)は牛女の都市伝説のお寺として全国的に有名です。


牛女のルーツは妖怪『件(くだん)』にあると思われますが、くだんが牛頭人身なのに対して、牛女は人頭牛身であるとされています。


件(くだん)とは
読んで字のごとく(人ベンに牛)半人半牛の妖怪。
牛から生まれ、人間の言葉を話すとされている。生まれて数日で死ぬが、その間に作物の豊凶や流行病、旱魃、戦争など重大なことに関して様々な予言をし、それは間違いなく起こる。とされています。

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このことから
「件の如し」という慣用句は「件(妖怪くだん)の予言が外れない様に、嘘偽りがないと言う意味である」という解釈もされたりします。



西宮の牛女伝説の発祥

鷲林寺のHPにも紹介されている話です。
『芦屋・西宮市一帯が空襲で壊滅したとき、ある牛の屠殺場も焼失した。そこには座敷牢があり、中には牛頭の娘が閉じ込められていたという噂があった。その焼け跡に“牛女”が現れ、そのことを地元の新聞が掲載した』


都市伝説としての牛女

上記の伝説から派生した都市伝説はメディアに乗り様々なバリエーションで拡散しました。
「鷲林寺の荒神堂のまわりを3周すると“牛女”が追いかけて来る」
「鷲林寺の八大龍王をを祀る洞穴に牛女が閉じ込められていて興味本位で忍び込んだ者が目撃したために発狂し、現在も精神病院に入っている」
「牛の鳴き声が聞こえてきても、決して振り返ってはならない。振り返るとそこには赤い半纏を着た牛頭の女性がいて、手に持った鎌で殺される」
などなどネットで検索したらいくらでも出てきます。



このような形で有名になった鷲林寺サイドは心霊スポットとして深夜に訪れるマナーの悪い参拝者?の喧噪で相当悩まされたようです。


鷲林寺の本堂を少し下ったところに八大龍王を祀る祠があります。
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この祠の後ろに今も牛女伝説で有名になった洞穴の入り口が見えます。

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荒神堂に祀られてある「そらん荒神像」は想像していたより小降りな感じだったけど、近作であり幼い子供を強くイメージさせる像容と相まってこれから信仰されて、どんどんパワフルになっていくような感じがしました。

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2014年5月20日追記〜

西宮に伝わる民話
『鷲の地主神とソランジン』

平安時代のある日、淳和天皇のお妃(*1)は夢枕に立った女神から甲山お寺を建てるようにお告げを受けました。

お妃は密かに宮中を抜け出し西宮まで来ると、広田神社の女神(*2)の導きによって、お寺を建立するのに相応しい場所を示されました。

お妃はとても喜び、空海の協力を得てその場所にお寺を建てました(*3)
そしてお妃自身も剃髪し「如意尼(にょいに)」と名乗り毎日修行に励みました。

ところが「西の山(*4)」のほうから大きな鷲が火の玉を吹きながら現れ寺を燃やそうと襲ってきました。
如意尼は『閼伽水(仏にお供えするための井戸水)』を運ばせ、鷲が吐く火に注ぎかけました。するとたちまち火は消え、大鷲は敵わないと見て西の山へと帰っていきました。

この大鷲は、西の山に古くから住んでいるソランジンという神が姿を変えたもので、仏法が広がり古くからの神である自身がないがしろにされるのを面白くないと思っていたのです。

如意尼はソラジンを荒神として祀り、怒りを鎮めなだめました。
それからというもの、もう大鷲がお寺を襲うことはなくなり、守護神となりました。とさ・・・・・


〜以上「西宮ふるさと民話」と「兵庫県立歴史博物館/ひょうご伝説紀行」より抜粋、再編集して少し盛ってみました。

注釈
*1淳和天皇のお妃=如意尼とは、淳和天皇第四妃「真名井御前」のこと。
*2廣田神社祭神、撞賢木厳魂天疎向津姫またの名瀬織津姫。
*3神呪寺の秘仏本尊如意輪観音は「如意尼」をモデルに空海が彫ったもの。
*4「西の山」こそココ「鷲林寺」のことで神呪寺とは対のような存在。

〜ここまで追記


お土産
鷲林寺オリジナル将棋の駒のお守り
DSCN0421

↑手彫りだそうです

DSCN0422

↑裏
かっちょいい〜〜〜1000円でした。



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