Back From The Temple

見仏記で仏像にハマりました。 みうらじゅんといとうせいこうが好きです。 ただいま朱印帳をめくりながら以前、訪れたお寺の記録を書いています(旧タイトル:ジンジャー大将)

尼崎

【大暑】第三十四候:桐始結花(きりはじめてはなをむすぶ)

二十四節気の「大暑」とはその名の通りもっとも暑いころ。夏祭り花火などの行事や土用うなぎなど風物詩も盛んな時ですね。
暑中見舞いは出しましたか?
僕はそういうことも無頓着だったんですが、去年から七十二候ネタのブログを書き始めてから書くようになりました。


七十二候の「桐始結花」は7月22日〜27日頃。
初夏に咲いた桐の花が実を結ぶ季節。
まだ実物の桐の花というモノを見たことがありません。


2015-07-24-15-33-26


今年は7月24日が土用の丑でした。8月5日にも丑の日が来るのでもう一回うなぎが食べられますね。
2015-07-31-13-57-24

うなぎ味に品種改良したナマズが市場に出ているそうで、ナマズの蒲焼き重がニュースになっていました。

尼崎に北東部(旧穴太村)周辺に「歯がみさん」と親しまれる歯にご利益のある白井神社があります。

2015-07-27-19-52-32

白井神社にはナマズは神様の使いという伝承があり、この地域ではナマズを食べることはありません。

2015-07-19-15-54-23

水産業のことにも、疎いのですが、ウナギは稚魚を獲るけど、ナマズは産卵から完全養殖ができるってことなんでしょうね。

食べてみたいですか?うなぎ味のなまず

【尼崎の怪談】異聞・皿屋敷〜お菊虫(深正院・お菊の井戸)

ローカル(尼崎)ネタの別ブログに書いた記事ですが、同じ物をココにも転載します。

20110825181800!Yoshitoshi_Ogiku
『新形三十六怪撰』より「新形三十六怪撰 皿やしき於菊乃霊」(月岡芳年画、1890年) 


元禄9年(1696年)。尼崎藩主青山播磨守幸督(よしまさ)の老臣、喜多玄蕃の屋敷にお菊という女が侍女として奉公に上がっていました。 

お菊は気だてが良く大層美人と評判でしたが、嫉妬深い玄蕃の妻はこのことが面白くありませんでした。 

ある日のこと玄蕃の妻はお菊を陥れようと、お菊が給仕した喜多玄蕃の御膳の碗の中に縫い針を忍ばせました。 

喜多玄蕃は碗の飯を一口頬張ろうして、針の混入に気付きました。 
玄蕃の妻はすかさず「これはお菊のせいに違いない」と騒ぎ立てました。 

玄蕃は自分を殺害しようと企てたとして激怒。 
お菊を荒縄で縛りあげると逆さに吊るして折檻し、お菊が苦痛のあまり気を失うと井戸の水を浴びせては何日も折檻し続けました。 
そしてとうとうその井戸の中にお菊を投げ込んで殺してしまったのです。 

事の次第を聞きつけたお菊の母、お米は大慌てで喜多宅に謝りにかけつけましたが、既にお菊は井戸に投げ込まれ絶命した後でした。 
その事を知ると母お米も後を追ってその井戸に飛び込んでしまいました。 

この一件があってから喜多家では怪異や祟りが続きました。 
そしてそれは事件として尼崎城主・青山氏の耳に入り、喜多は改易、屋敷は祟りがあると恐れられ廃屋となりました。 

さらに百年の月日が経った寛政7年(1795年)、喜多家の庭に植えられた橘の枝から後ろ手に縛り上げられたお菊の姿をした妖虫が沢山、沢山ぶら下がり恨みごとを唱え、ついには喜多家を呪い滅ぼしました。 

尼崎城下でも折檻されたお菊の姿に似ているという「お菊虫」と名付けられた奇怪な虫が大発生し、人々は祟りがあると恐れました。 

青山氏に変わり、尼崎城主となった櫻井松平忠宝(ただとみ)は「お菊虫は蛹(さなぎ)であって 菊の亡霊でないから平静になれ」との「おふれ」を出し、喜多宅の跡地にお菊の霊を鎮めるためにお寺を建立しました。それが「深正院」です。 

おかげで怪異や祟りはおさまりましたが、「深正院」の境内では菊を植えても花が咲かなかったといいます。 

そして今でも「深正院」にはお菊が投げ込まれた井戸があり、入口は石盤で固く閉ざされています。 

434px-Hokusai_Sarayashiki 
葛飾北斎「百物語・さらやしき」


『皿屋敷』は「いちま〜い、にま〜い」で有名な怪談のフォーマットで播州姫路が舞台の『播州皿屋敷』、江戸番町が舞台の『番町皿屋敷』が広く知られていますが、様々なバリエーションで各地に伝わっています。 

尼崎の「お菊」の物語は、「皿屋敷異聞」に分類されていますが、発端が肝心の皿ではなく針であることが異色です。 

この「尼崎版・皿屋敷譚」は蜀山人こと太田南畝『石楠堂随筆』上 1800年(寛政12年)を底本とし、ほぼ同様の内容で、根岸鎮衛『耳嚢』にも収録され、津村淙庵『譚海』にも詳しく書かれているそうです。が、僕はいずれの説話のオリジナルにもあたっておらず、郷土史研究本の「尼の散歩道」「尼崎郷土史研究会・みちしるべ33号」そして「weblio」から引用した説話を独自解釈で脚色を大いに加えて再編しました。 

2015-06-28-15-22-09
※「深正院」の境内には本当に石盤でフタがしてある井戸があります。 



1795年に大量発生し「お菊虫」と呼ばれたのはジャコウアゲハのサナギだそうです。 

sarayashiki-05
妖怪「お菊虫」(『絵本百物語』竹原春泉画)


様々なバリエーションで拡散している「皿屋敷」ですが「お菊虫」のくだりは決まって1795年となっているので、ジャコウアゲハの蛹が異常発生した事実があるのだと思われます。 

sarayasiki-06 
ジャコウアゲハの蛹 


 暁鐘成『雲錦随筆』では、お菊虫が「まさしく女が後手にくくりつけられたる形態なり」と形容し、その正体は「蛹(よう)」であると書いています。 



文化10年(1813年)4月14日、松平忠宝は病気を理由に家督を次男の忠誨に譲って隠居したそうです。 

2015-06-28-15-11-06

2015年6月28日参拝 


【白露】第四十三候:草露白(くさのつゆしろし)中秋の名月


七十二候は草露白(9月8日〜12日頃)草木に降りた露が白く光って見える季節で残暑もやわらいでくる頃。
二十四節気は白露もほとんど同じニュアンスみたいなので、露が付くということは季節が秋にぐっと近づいた目印なんですね。

そして今夜は『中秋の名月』十五夜です。

尼崎の夜空にもクッキリと満月が浮かんでいました。
2014-09-08-21-07-21

尼崎の民話に『名月姫』という話があります。
平安時代、現在の尼崎市尾浜に刑部左衛尉国春という豪族に玉のような女の子が生まれました。
中秋の名月の日に生まれたので「名月姫」と名付けました。
姫が14歳になった時、能勢の豪族・能勢家包が姫をさらい自分の妻にしてしまいました。
父の国春は悲しみにくれ出家し、諸国行脚の旅にでました。

折しも、平清盛が兵庫の大輪田の泊の改修工事していましたが、難工事となったため「工事を成功させるためには、人柱を立てなければならない」と旅人を捕らえていました。

名月姫の父・国春も捕らえられ、人柱にされようとしていました。

そんなある日の夜、名月姫夫妻の夢枕に老翁(大日如来の化身)が立ち「あなたの父が清盛に捕らえられ命が危ない」と告げました。

家包、名月姫夫妻は直ちに清盛の元へ行き、父・国春の命の嘆願をしました。

その様子を見ていた清盛の健児(側仕え)松王丸が捕らえられた三十人の人柱の身代わりを買って出たおかげで、国春も解放され、名月姫と共に大日堂を建てて祀りました。
名月姫は夫・家包の死後に尾浜に一堂を建立し、夫の菩提を弔いながら一生を終えたと伝えられています。(尼崎、郷土史研究会/みちしるべ34巻)より抜粋。


尼崎で”間違いのない”お持たせ銘菓として有名な『彩花苑』という和菓子屋さんがあります。
※かりんと饅頭や焼きプリンも絶品です。

2014-09-08-16-29-12


この彩花苑にその名もズバリの『名月姫』という和菓子があります。満月のようにまん丸なひよこ饅頭の餡にマロングラッセが混ざった感じで、これがまー美味しいです。

尼崎で中秋の名月を愛でる時、いにしえの親孝行で良妻の美女の姫に想いを馳せながら「名月姫」をむさぼるというのが尼ならではの作法な気がします。

2014-09-08-21-13-32

そして『彩花苑』の本店は名月姫が生まれ育ち、波瀾万丈の人生が穏やかになった晩年から生涯の幕を閉じるまで暮らしたとされる『尼崎・尾浜』にあります。

彩花苑には「近松物語」というお茶受けにピッタリな羊羹があったり、名品和菓子とともに、この郷土愛に溢れる商品ラインナップも僕のお気に入りの理由です。


【処暑】第四十二候:禾乃登(こくものすなわちみのる)

9月2日〜9月7日頃

禾乃登。稲が実り始めて収穫も間際に迫って来ました。というころ。
収穫時期は忙しくて大変だとおもいますが、今は待ち遠しくて楽しみでワクワクしていたり、台風シーズンでもあるのでハラハラしたり、ちょっと落ち着かない感じの季節なんでしょうね。

そんな僕も屋久島縦走を控えてワクワクしながらバイトに精を出してますが、ウッカリ風邪をひいてしまいました。今は熱も治まって回復したので体調はバッチリなんですが、はやり台風で飛行機が欠航なんてことにならないかとハラハラと、ちょっと落ち着かない感じです。


この季節の楽しみとして「秋の七草」があります。
「正月休み明け」に食べる「七草がゆ」の春の七草とは違い、「秋の七草」は食べたりはしません。

山上憶良が詠んだ
『秋の野に 咲きたる花を 指折りて かき数ふれば 七種(ななくさ)の花』(万葉集/巻8-1537)
『萩の花 尾花 葛花 瞿麦(なでしこ)の花 姫部志(をみなへし) また藤袴 朝貌の花』(万葉集/巻8-1538)
の2首が由来とされているそうでで、現代の和名では
女郎花(オミナエシ)、尾花(ススキ)、桔梗、撫子、藤袴、葛、萩です。

野草なので今でも道ばたや土手に普通に咲いているんでしょうか?


尼崎が誇る史跡の一つに『猪名寺廃寺』というところがあります。

2014-08-06-16-22-48

調査によれば奈良時代の昔、この場所には法隆寺式の大伽藍が建立されていたそうです。

今は公園のすみに礎石が1つポツンと残るだけですが、百人一首にも選ばれている、大弐三位(紫式部の娘)の娘の歌にも出て来ます。

「有馬山、猪名の笹原風吹けば、いでそよ人を、忘れやはする」

猪名寺廃寺史跡では笹を植え、この歌が詠まれたころの風景を蘇らせています。
ほぼ再現できてるんじゃないでしょうか。かなり万葉の情緒がある眺めでした。
2014-08-06-16-24-05

そして、「秋の七草」も栽培されています。

2014-09-02-16-06-22
ちょっと弱々しいナデシコ

2014-09-02-16-06-55
多分「女郎花」のツボミだと思うんですが、違ってたらすいません(花や野草は全然詳しくないです)
花や野草の種類が一目で判れば山に行った時に、山ガールにひけらかしたりして楽しそうだから、これから頑張って覚えてみます。

というか、秋の七草って開花時期が違うんでしょうか?自生だと一斉に開花するんでしょうかねー。

【処暑】第四十候:綿柎開(わたはなしべひらく)


★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
☆ お誕生日おめでとう ☆
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★

二十四節気は『処暑』暑さもやわらぎ始める季節。

七十ニ候は『綿柎開』綿の実(ガク)の部分がはじけてフワフワの綿花が飛び出す頃という意味だそうです。

2014-08-27-23-23-38
↑こんな感じで爆ぜるんですね。

その綿花を摘んで種など異物を取り除き、綿打ちをしてほぐしてから綿糸を紡ぎます。

オラが町・尼崎にはユニチカという有名な紡績会社があります。


廃藩置県の後、尼崎は城下町としての賑わいはすっかり失われていました。
明治22年尼崎の商人、士族、地主が中心となり大阪の財界の協力を得て『有限責任尼崎紡績会社』が作られました。

この会社が後にユニチカとなります。

2014-08-25-15-06-01
↑ユニチカ記念館(明治三十三年建設・尼崎紡績本社)

尼崎紡績は貧窮していた士族の授産となり、尼崎を再建させ、後に工業都市として発展する礎となりました。

その後、尼崎紡績は『大日本紡績』と社名を改め、日本屈指の紡績会社へと発展し、さらに『ニチボー』となり昭和44年『ユニチカ』ととなります。

2014-08-25-15-07-21


どうして尼崎の市外局番は『06』なのか・・
尼崎紡績は設立に大阪の財閥からの資金援助を受けていたことや、大阪株式取引との取引の便宜のため、当時はまだ大阪までしか開通していなかった電話を自費で尼崎市の本社まで開通させました。
その後、電話網の発達に際しても、尼崎市が工事費の一部を負担したため、大阪と同じ市外局番『06番』が適応されました。

2014-08-25-15-09-05

赤レンガの塀で囲まれた派手な本社は当時の尼崎市民の目をひいたことだとおもいます。


この界隈(大物周辺)は尼崎市内でも見所が多く、物好き向けの観光スポットとしてもオススメです。


義経・弁慶の隠れ家の大物主神社。
2014-08-21-15-12-53
↑盃状穴もあるので探してみてください。


尼崎大観音やピカピカ仏像で有名な珍寺『常念寺』もすぐ近くにあります。
2014-08-21-15-49-49

是非、一緒に回ってみてください。
2014-08-21-15-40-32
わっはははー

尼ネタ専門ブログ】もやってます。そちらもよろしくお願いします。

ギャラリー
  •  【立秋】第三十七候:涼風至(すずかぜいたる)〜イベント盛りだくさん
  •  【立秋】第三十七候:涼風至(すずかぜいたる)〜イベント盛りだくさん
  •  【立秋】第三十七候:涼風至(すずかぜいたる)〜イベント盛りだくさん
  •  【立秋】第三十七候:涼風至(すずかぜいたる)〜イベント盛りだくさん
  •  【立秋】第三十七候:涼風至(すずかぜいたる)〜イベント盛りだくさん
記事検索
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ