祇園祭で有名な京都、八坂神社の東間には社伝に明確な記述が無い蛇毒気神(ダドクケノカミ)が祭られている。この神はヤマタノオロチが変化したものとも言われています。

明治時代の神仏判然令以後、八坂神社では古くからの祭神を改め、牛頭天王を素戔嗚尊と同神とし、牛頭天王の后神婆利采女を素戔嗚の后である櫛稲田姫命としている。
櫛稲田姫命は方角の吉方(恵方)を司る歳徳神(としとくしん)と同一と見なされていた事もあり牛頭天王の8人の王子を暦神の八将神に比定している。
ではヤマタノオロチとされた蛇毒気神(ダドクケノカミ)とは・・


牛頭天王が日本に帰ろうと眷属を従えて船で漕ぎ出た時、頭の赤い毒蛇が船に近寄ってきた
「我はこれ沙伽羅竜王の聟、牛頭天王と言うものなり〜」と名乗りをあげると
蛇身が応え
「我はこれ天王の御子なり〜」

この牛頭天王を追いかけて来た蛇の正体が牛頭天王8番目の子(八王子)宅相神才天王またの名を「蛇毒気神(たどくけしん)」

牛頭天王と婆利采女に身に覚えのない8番目の子供であったが、蛇毒気神によると七子出産の際、竜宮の血逆の池に沈めた後の物から産まれたという。

後の物とは出産の際、胞衣(えな)、月水(経血)などつまり胎盤のことで、出産や生理に対する聖・穢れの観念と習俗を神格化したのが蛇毒気神(胞衣の女神)である。

蛇毒気神は牛頭天王の眷属8万4654神の中の「大悪神」とされ、延久2年(1020年)の火災で祇園社が消失した際、他の神体の造立はあっさりと決定したが、蛇毒気神の造立に関しては占い、陰陽師の意見を聞きようやく決定したという。
蛇毒気神造立に先だって僧10人が大般若経を7日間に渡り転読した。


胞衣(えな)には霊力があるとされていた。
京都、泉涌寺塔頭寺院の一つ来迎院の荒神堂には空海が唐で感得したという伝説に基づい異形の荒神「胞衣荒神(ゆなこうじんと読む)」が祀られている。